東京23区の衝撃 [日常生活]
今週はじめ、東京都心に雪が降りました。
うちの事務所は、赤坂にあります。サカスの裏手の坂の上。
そんな朝の、母(77歳)との会話。
(標準語に翻訳してお届けします)。
私: 今朝は雪だから、きっとみんな事務所に来ないよ。全員休みかも。
母: でも、ニュースだと雪が降ってるのは「東京23区」って言ってたよ。
私: うん。だから赤坂も雪。
母: 23区以外でも降ってるのかねえ?
私: さあ。とりあえず赤坂は港区だから、降ってるでしょ。
母: 港区も降ってるんなら、なんでニュースで23区だけ言うんだろうね。
私: あのお、港区も23区ですけど?
母: 港区は港区でしょ。23区っていうのは、どっか東京の外れの方の区のことだろ。
私: は?23区って、港区とか新宿区とか葛飾区とか、東京の区をひっくるめて言うんだけど?
母: そんなはずないよ。23区ってのは、東京に23番目にできた最後の区だよ。どこにあるかよく知らないけど、東京の外れの方だよ。
私: (あまりの驚きに声を失う)。
母: たしか、戦後にできた新しい区で、名前がなかったから数字にしたはず。
私: まさか77年間生きてて、東京にも何回も行ってて、ホントに今までそう思ってたのか!?
結論からいうと、本当に今のいままで、23区という区があると信じていたらしい。
・その区の住所を書いた覚えがある、とか、
・23区が区名じゃないと成り立たないニュースが多々あったはずだ、とか、
・23区代表の議員がいた、とか、
だいぶ頑張って反論してくれました。
いやあ、久々の大ヒット。
母は、普通に商業高校を卒業し、大きい病院の事務職を経て
5年前までずっと食堂をやってました。
だから、一般常識はそれなりに有しているはず。
東京へも、銀座に初めてネオンが登場した昭和20年代から、何度も行っています。
それなのに、いったいどこで上記のような勘違いをしたのか?
いちおう23区の歴史を調べてみました。
戦後「東京市」の35区→23区になったという史実はあるが、
新しく23区ができたと間違えるような出来事はなにも見当たらない。
よくよく話を聞いてみると、本人が、なぜか最初から勝手にそう信じていただけらしい。
つまり子供の頃からの「思い込み」。
よくもまあ、いままで誰にも指摘されずに済んだものだ。
(気づいたのが私で良かったよ。)
まあ確かに、23区を、1つの区の名前と間違えていたところで、
特に理解できないニュースもなさそうである。
本人が困ることなど何もない。
以前、私が目黒区や品川区に住んでいたときに、
「23区に大雨警報・台風・地震」とかいうニュースがあっても、
彼女は目黒区じゃないから良かった、と思ってたんだなあ、きっと(苦笑)。
人間70歳を過ぎて気づく勘違いは、実はかなり多い。
ここ最近だけでも、いくつかあった。
・ランチを「昼ランチ」と言う。しかも、ちょっと高級なレストランや料亭で食べるものだと信じている。
(食堂をやっていながら、自分の出している「定食」はランチの範疇に入っていない)。
・団塊の世代の「塊」を「魂(たましい)」だと思っており、ずっと「だんこん」の世代と言っていた
(それ、音的にヤバイんですけど)
・「一目置く」を、「嫌なヤツだから距離をおいて接する」という意味で使用していた。
つまり、50年以上に渡って、本人はある人物のことを「腹に一物を抱える嫌な奴なので気をつけろ」、と第三者に忠告しているつもりだったのに、「あの人には一目置いてるのよ」と言っているので、実はその人を50年間褒め続けていた。
※これに関しては、何度説明しても、本人は未だに腑に落ちないようであるが・・・
これって、明日は我が身。
私も気をつけねば。
思い込み厳禁。曖昧なことは調べよう。
うちの事務所は、赤坂にあります。サカスの裏手の坂の上。
そんな朝の、母(77歳)との会話。
(標準語に翻訳してお届けします)。
私: 今朝は雪だから、きっとみんな事務所に来ないよ。全員休みかも。
母: でも、ニュースだと雪が降ってるのは「東京23区」って言ってたよ。
私: うん。だから赤坂も雪。
母: 23区以外でも降ってるのかねえ?
私: さあ。とりあえず赤坂は港区だから、降ってるでしょ。
母: 港区も降ってるんなら、なんでニュースで23区だけ言うんだろうね。
私: あのお、港区も23区ですけど?
母: 港区は港区でしょ。23区っていうのは、どっか東京の外れの方の区のことだろ。
私: は?23区って、港区とか新宿区とか葛飾区とか、東京の区をひっくるめて言うんだけど?
母: そんなはずないよ。23区ってのは、東京に23番目にできた最後の区だよ。どこにあるかよく知らないけど、東京の外れの方だよ。
私: (あまりの驚きに声を失う)。
母: たしか、戦後にできた新しい区で、名前がなかったから数字にしたはず。
私: まさか77年間生きてて、東京にも何回も行ってて、ホントに今までそう思ってたのか!?
結論からいうと、本当に今のいままで、23区という区があると信じていたらしい。
・その区の住所を書いた覚えがある、とか、
・23区が区名じゃないと成り立たないニュースが多々あったはずだ、とか、
・23区代表の議員がいた、とか、
だいぶ頑張って反論してくれました。
いやあ、久々の大ヒット。
母は、普通に商業高校を卒業し、大きい病院の事務職を経て
5年前までずっと食堂をやってました。
だから、一般常識はそれなりに有しているはず。
東京へも、銀座に初めてネオンが登場した昭和20年代から、何度も行っています。
それなのに、いったいどこで上記のような勘違いをしたのか?
いちおう23区の歴史を調べてみました。
戦後「東京市」の35区→23区になったという史実はあるが、
新しく23区ができたと間違えるような出来事はなにも見当たらない。
よくよく話を聞いてみると、本人が、なぜか最初から勝手にそう信じていただけらしい。
つまり子供の頃からの「思い込み」。
よくもまあ、いままで誰にも指摘されずに済んだものだ。
(気づいたのが私で良かったよ。)
まあ確かに、23区を、1つの区の名前と間違えていたところで、
特に理解できないニュースもなさそうである。
本人が困ることなど何もない。
以前、私が目黒区や品川区に住んでいたときに、
「23区に大雨警報・台風・地震」とかいうニュースがあっても、
彼女は目黒区じゃないから良かった、と思ってたんだなあ、きっと(苦笑)。
人間70歳を過ぎて気づく勘違いは、実はかなり多い。
ここ最近だけでも、いくつかあった。
・ランチを「昼ランチ」と言う。しかも、ちょっと高級なレストランや料亭で食べるものだと信じている。
(食堂をやっていながら、自分の出している「定食」はランチの範疇に入っていない)。
・団塊の世代の「塊」を「魂(たましい)」だと思っており、ずっと「だんこん」の世代と言っていた
(それ、音的にヤバイんですけど)
・「一目置く」を、「嫌なヤツだから距離をおいて接する」という意味で使用していた。
つまり、50年以上に渡って、本人はある人物のことを「腹に一物を抱える嫌な奴なので気をつけろ」、と第三者に忠告しているつもりだったのに、「あの人には一目置いてるのよ」と言っているので、実はその人を50年間褒め続けていた。
※これに関しては、何度説明しても、本人は未だに腑に落ちないようであるが・・・
これって、明日は我が身。
私も気をつけねば。
思い込み厳禁。曖昧なことは調べよう。
コメント 0