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猫ののどにひっかかるもの-いやホント生死にかかわるし。 [ハナ御殿]

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夜の10時を過ぎたころ、
遅めの夕ご飯を食べにきたハナちゃんの様子があまりにおかしい。
口の周りが土で汚れてる。
そして、時折口の周囲をかきむしってる。

ごはんは食べたいのに、牛乳を一口なめただけで、苦悶の表情でのどをかきむしり、
ごはんの容器をひっくり返してしまう。

どうやら、のどか上あごに何かが引っかかっているらしい。
取りたいけど、取れない。
でも、取らないと何も食べられない。
何も食べなくても、そのままの状態でも結構苦しいようだ。
げぇげぇ言って、舌を極限まで出して爪を口にあてている。

人でいうと、のどに魚の骨がひっかかってる感じ?
ハナちゃんなら、ねずみの頭蓋骨とか?
それにしても、ちょっと苦しさが尋常ではなさそう。

かといって、こっちが口をこじ開けてのどの奥を見ることなど不可能。
とりあえず呼吸はできてるようだから、窒息の心配はない。

しばらく様子と見ていると、自力で牛乳を口に入れる方法を見出したらしく、
かなりの時間をかけて、なんとか牛乳だけは飲み干した。
でも、固形物はどんなに小さなかたまりでもだめ。
カリカリの小粒一つも無理。
ひゅんひゅん言ってるけど、どうしてやりようもない。

普段はあまりたべないけど、「ちゅ~る」なら、流動食としていけるかなと思い、
さらに水でのばして置いてみると、
これも、だいぶ時間をかけてなんとか食べた。
それでも、固形は無理。

ぐったりして寝てる。
でも、時折口の周りをかきむしり、
とても苦しそう。
そして、明らかにお腹は空いている。

この状態が続くなら、明日の朝一番でお医者さんかと、覚悟を決めた。
(万札が飛んでいく覚悟ですけどね140;1034)

この日は、それでも夜中に外出し、
明け方に帰ってきた。
そして、ごはんのおねだり。
ふと見ると、昨夜食べられなかったはずのカリカリが空っぽ。
そこで、いつもの固形のごはんを出してやると、
なんと完食。
口元もかきむしらない。

この様子を見たら誰だって、
あら、何かの拍子に刺さってたものが取れたんだ、と思うじゃない?
ラッキー、って。

食後は、満足したのか所定の場所で寝てるし。
良かった良かった。
でも、何が刺さってたのかしらね。

それから3時間。

ハナちゃんがむっくり起き出して、コホン。
すると、何かが足元にポロン。
それが、コレ。

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固い植物の茎又は枝。
しかも、3cmごえ。
これが横の状態でのどにかかってたってこと!?

固形物食べたらズレたのか?
ちょっとズレたから固形物が食べられたのか?
そもそもなぜ、このようなものがのどに横にひっかかる?
すべては謎であるが、
これが出てから初めて、
寝息をたてて寝始めた、一番上の写真のように。

今度こそホントに良かった良かった。

で、思い出した。
この子の場合は、棒状で横だったから、少なくとも呼吸はできた。

でも、呼吸ができないものが、のどにかかることもある。
いや、実際にあった。

うちに昔いた柴犬雑種のりくちゃん(享年16歳)は、
大好物が「焼いたおもち」だった(それ自体、ちょっとヘンかもしれない)。
しかも豆餅に目がない。

オーブントースターでおもちを焼き出すと、
わくわく、うろうろ。
焼けたおもち(熱いぞ)を、両手で挟んで、ちょっとずつのばしては食べる。
もう十年以上それを続けている、ベテランの「もち食い犬」だった。
今の時代なら、是非動画に撮って残したいところであったが・・・

それが老犬真っ只中の14歳(人間年齢だと72歳位)のとき、
突然、床をのたうち回って苦しみだした。
そう、「もちがのどにかかった」状態である。
七転八倒。
白目を剥いて、みてるだけでやばい状況である。
でも、20キロ近い、老犬とはいえ、歯も抜けていない犬である。
窒息してるから、口はきつく閉じられている。
しかも夜。
飼い主による救済は果てしなく難しそうである。
近くに獣医などなく、かつこの年令まで一度も医者に通ったことはない。
だいたい、車に乗るのか?
(生まれてこのかた、車に乗っのはまだ6ヶ月目のただ一回。その時はひどい車酔いで大変だったが・・・)

家族全員途方にくれ、犬の力が弱ったころに醤油と掃除機か?
と、準備を初めたころ、
「出た!」
犬が、自力で餅を吐き出した。
すごい。
エライ。

その日から、餅を口にしなくなったのは、言うまでもない。
(いや、人なら「性懲りもなく」ということがあるが・・・)

ハナちゃんは、半野良でしょっちゅうケンカもすれば、獲物も狩る、野生豊かな猫である。
りくちゃんは、田舎の山奥のお家で生まれた(お父さん不明の)正真正銘の雑種犬で、これまた野生の強い子であった。
小屋に繋がれた状態で、襲ってきた凶暴な犬(後日殺処分になった飼い犬さんでした)に全身噛まれても、自力で水だけ飲んで治したツワモノである。
死期を悟って、最後は自ら姿を消してしまった位である・・・・

やはり、野に生きる生き物が、自ら生きようとする力は強い。
恐れ入りました。





















タグ: 野良
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東京23区の衝撃 [日常生活]

今週はじめ、東京都心に雪が降りました。
うちの事務所は、赤坂にあります。サカスの裏手の坂の上。

そんな朝の、母(77歳)との会話。
(標準語に翻訳してお届けします)。


私: 今朝は雪だから、きっとみんな事務所に来ないよ。全員休みかも。

母: でも、ニュースだと雪が降ってるのは「東京23区」って言ってたよ。

私: うん。だから赤坂も雪。

母: 23区以外でも降ってるのかねえ?

私: さあ。とりあえず赤坂は港区だから、降ってるでしょ。

母: 港区も降ってるんなら、なんでニュースで23区だけ言うんだろうね。

私: あのお、港区も23区ですけど?

母: 港区は港区でしょ。23区っていうのは、どっか東京の外れの方の区のことだろ。

私: は?23区って、港区とか新宿区とか葛飾区とか、東京の区をひっくるめて言うんだけど?

母: そんなはずないよ。23区ってのは、東京に23番目にできた最後の区だよ。どこにあるかよく知らないけど、東京の外れの方だよ。

私: (あまりの驚きに声を失う)。

母: たしか、戦後にできた新しい区で、名前がなかったから数字にしたはず。

私: まさか77年間生きてて、東京にも何回も行ってて、ホントに今までそう思ってたのか!?

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結論からいうと、本当に今のいままで、23区という区があると信じていたらしい。
・その区の住所を書いた覚えがある、とか、
・23区が区名じゃないと成り立たないニュースが多々あったはずだ、とか、
・23区代表の議員がいた、とか、
だいぶ頑張って反論してくれました。


いやあ、久々の大ヒット。

母は、普通に商業高校を卒業し、大きい病院の事務職を経て
5年前までずっと食堂をやってました。
だから、一般常識はそれなりに有しているはず。

東京へも、銀座に初めてネオンが登場した昭和20年代から、何度も行っています。

それなのに、いったいどこで上記のような勘違いをしたのか?

いちおう23区の歴史を調べてみました。
戦後「東京市」の35区→23区になったという史実はあるが、
新しく23区ができたと間違えるような出来事はなにも見当たらない。

よくよく話を聞いてみると、本人が、なぜか最初から勝手にそう信じていただけらしい。
つまり子供の頃からの「思い込み」。
よくもまあ、いままで誰にも指摘されずに済んだものだ。
(気づいたのが私で良かったよ。)

まあ確かに、23区を、1つの区の名前と間違えていたところで、
特に理解できないニュースもなさそうである。
本人が困ることなど何もない。

以前、私が目黒区や品川区に住んでいたときに、
「23区に大雨警報・台風・地震」とかいうニュースがあっても、
彼女は目黒区じゃないから良かった、と思ってたんだなあ、きっと(苦笑)。


人間70歳を過ぎて気づく勘違いは、実はかなり多い。
ここ最近だけでも、いくつかあった。

・ランチを「昼ランチ」と言う。しかも、ちょっと高級なレストランや料亭で食べるものだと信じている。
(食堂をやっていながら、自分の出している「定食」はランチの範疇に入っていない)。

・団塊の世代の「塊」を「魂(たましい)」だと思っており、ずっと「だんこん」の世代と言っていた
(それ、音的にヤバイんですけど)

・「一目置く」を、「嫌なヤツだから距離をおいて接する」という意味で使用していた。
つまり、50年以上に渡って、本人はある人物のことを「腹に一物を抱える嫌な奴なので気をつけろ」、と第三者に忠告しているつもりだったのに、「あの人には一目置いてるのよ」と言っているので、実はその人を50年間褒め続けていた。 
※これに関しては、何度説明しても、本人は未だに腑に落ちないようであるが・・・


これって、明日は我が身。
私も気をつけねば。
思い込み厳禁。曖昧なことは調べよう。


主役紹介 [ハナ御殿]

これからはじまる(予定の)新シリーズの主役、野良猫ハナちゃんです。

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えっと、これは初めて家の中に入ってきたときのもの。
最初に見かけてから半年以上経過した後のことでした。
なかなか慎重なヤツです。

そして、これが最後の「無傷」の写真でもあります。
この後、ケンカして、ケンカして、またケンカして、
さらにはエサ(?)にも抵抗されたりして、
顔じゅう傷だらけのハナちゃんになりましたから・・・^^;

[猫]プロフィール

名前: 野良猫ハナちゃん (オス、2歳半くらい?)

名前の由来: 
いつから来たかわかるようにNHKの朝ドラから命名。
最初に見かけた頃は2014年5月で、そのときの朝ドラが「花子とアン」だった。
遠目にしか見られなかったので、オスかメスかわからず。
でも、純日本風の茶トラ猫だし、「アン」っていう雰囲気ではなかったので、
花子→ハナになった。

性格:
慎重
甘ったれ
外の世界が命 (まず、出口確保!)
たいへん賢い (但し、ラッキーちゃんとの比較による)

特技:
ねずみの捕獲
これまでの最高記録→ 9 匹/月
※但し、家に連れ帰ったものに限る。外で行われている殺戮については、知る由もない。


[るんるん]馴れ初め[るんるん]

ラッキーちゃんが旅立って約1年が経過したころ、
ヒマを持て余していた母が、早春の晴れた日に、
裏庭にある、樹齢約100年の金木犀を訪れるヒヨドリのつがいに
なぜか突然、エサ(パンとりんご)をやりはじめた。
※食パンが余っていて、古くなっていたからね。

が、
ヒヨドリがそれを食べたのは、たぶん数日。
すぐにカラスに取って代わられた。

カラスは賢くて、
エサがもらえると知ると、毎日通ってくる。
数日見ていると、
それはそれで可愛らしいらしく、
途切れることなくエサやりが続いた。
※まあ、近所からクレームがくる環境ではなかったのが幸いである。

カラスの天下が約2週間ほども続いただろうか。
ある日、ふとエサ場(といっても庭の石の上だが)に目をやると、
茶トラの若猫(のちのハナちゃん)が一心にパンを食べている。
が、扉を開けると一目散に逃げ出していった。

それからしばらくは、
カラスvs若猫の戦いが・・・^^;。

カラスも2-3羽で協力(?)して善戦したが、
結局は猫が勝利を収めた。

まあ、エサの内容が猫よりに変ったことも原因だろう。
母とて、やはりカラスよりは猫の方が可愛かったらしい。

とはいえ、我が家は半世紀以上に渡って「犬飼い一筋」の家である。
従って、この時点では、
・猫は一般的にパンを食べない、とか、
・牛乳を飲める子は限られている、とか、
という知識はまったくなく、
テキトーに煮干とか、牛乳とか、鶏肉とかを置いていた。
※カラスにとって、鶏肉はやはり共食いになるのでさすがに食べるのを避けたのではないか、と想像している。

さて、この後、ハナちゃんが、このまま順調に我が家に馴れていって、
半ノラとして居着いたかというと、さにあらず。
ノラの若猫には、まだまだ試錬が待っているのである。

この続きはまた次回~!(← いつ?)










5回目の月命日

ラッキーちゃんが2013年4月4日のお昼過ぎに旅立ってから、5回目の月命日がやってきました。
いまでも毎日、つい名前を呼んでしまいます。
ああ、頬ずりしたいなあ。そして、撫でたいっ・・・。



心臓病と戦ったラッキーちゃん。
最期の日、午前2:00頃に発作で倒れてから亡くなるまでの約半日だけは、本当に苦しそうでした。
前日夜までは、いつものように薬も飲んだし、食べるものもしっかりと食べていたのですが・・・。

その時のメモ。

* 4/3夜7時頃に久々の発作。すぐに回復し、服薬してからしっかり食べる。(犬用のかぼちゃのクッキー、心臓病用のドッグフードなど)
* いつも通りで夜遅くまで過ごす。
* 夜中の2時頃に突然発作で倒れる。短時間に2回目の大きな発作が起きたのはこれが初めて。正直もうダメかと思ったが、なんとか息を吹き返す。
*その後は、本当に 呼吸が苦しいらしく、目を見開き、空中を凝視した状態で、上をむいて息をしている。まばたきさえしない。その後はずっとこの状態のまま。母と共に、うとうとしながら見守る。
* 朝9時にとりあえず酸素ボンベを買いにアオキへ。でも、 マスク式の酸素ボンベで犬が拒否
* 開いたばかりの獣医さんに電話すると、たぶんもう限界だから覚悟するように、とのこと。酸素テントに入れると少しは本人がラクかもということだったので、即、酸素テント用の酸素濃縮器を借りる手配。
* その間、ラッキーちゃんは相変わらず目を見開いたまま上を向いて呼吸。途中でトイレだけでもと外に出すが、何もしない。突っ立ったまま。
・すぐに家に戻し、目を離した隙にいないと思ったら、いままで行ったこともない奥の部屋の床の間のたぬきの横にいた^^;。たぬきと一緒に置物化していたが、やはり、目を見開き、空中をみて上をむいて息をしている。
・じっとしていることはしんどいらしく、家じゅうをうろうろうろ。はあはあはあ。
・ 酸素濃縮器が来たらすぐにセットできるように、ゲージとビニール袋で酸素テントを作る。
・突然、立ったままの状態で大便をする(ラッキーちゃんが家の中で大をしたのは、これが最初で最後。昨夜はしっかり食べているので、しっかり出た^^;)
・ 酸素濃縮器が11:30頃に着く
・ 酸素テントをセットし、犬を入れる
・ラッキーちゃんは、 全力でテントから外へ出たがる。それでも中にいれば少しラクになるからと押し戻す。
・ 5分後位に一旦外へ出す(テント内の居心地をよくするために中を直そうと)
・2分後に振り返ったとき・・・既に事切れていた(12:50分頃)
・ 声をかけて触ると一瞬動いたが、たぶん死後硬直だった
・箱に寝かせ、命より大事にしていた「うさこ」、その他ぬいぐるみ一式、毛布、クッキーなどを一緒に入れる。
・借りたばかりの酸素濃縮器を、2時間も立たずに返却


たぶん、ラッキーちゃんにしてみれば、ずっと自由に歩き回っていたのに、突然ゲージの中に入れられたのが何よりも嫌だったのでしょう。
テントの外に出ようとして、全エネルギーを使い果たしたことは明白でした。
あるいは、酸素テントを用意する時期が遅すぎたのかもしれませんが・・・。
いずれにしても、最後の発作後の、あんな苦しそうなラッキーちゃんをあれ以上見続けることはできなかったと思います。


この時代、小型犬の10歳は若すぎる。

でも、しんどくなってから1年以上、獣医師さんも感心するくらい、十分に頑張りました。
歩く距離をどんどん短くして、最後は大半が抱っこの道のりになっても、散歩が大好きでした。
あーあ、またラッキーちゃんと散歩に行きたいなあ。

いつか、犬の方から私を見つけてくれるまでは、とうぶんはラッキーちゃんの思い出と一緒に過ごしますか。
いつでも帰っておいでね~。







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祝!一周年 [病気]

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秋晴れの空を舞うあきあかね(赤とんぼ) ← 見える?

このタイトルを見て、「ああ、あのアメリカン・アイドル出身のめちゃ歌の上手いデヴィッド・アーチュレッタの沖縄コンサートから一周年ってことね♪」と思ったあなた、ご期待に添えず、申し訳ありません ^_^;。

実は、愛犬ラッキーちゃんが心臓発作を起こして死にかけてから、この10月15日でなんとか1年間を生き延びたお祝い[バースデー]なんです。

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思えば、飼い主が生まれて初めての沖縄で、のほほ~んと米軍基地内のアメリカ~ンな Pizza & Coke を満喫していた頃、ラッキーちゃんは散歩後に母の車の中で突如絶叫して気絶。これが最初の大きな発作でした。

その後も何度か絶叫と気絶を繰り返し、何とか2012年の正月は越したものの、もう長くはないと覚悟していました。実際、1月に大きな発作を起こしたときは、なかなか意識が回復せず、呼吸が止まってヤバかったですし。

しかし、寒い冬を超えて気温が徐々に暖かくなるにつれて、薬の助けもあってか、4月からつい先日までの半年以上、まったく発作を起こしませんでした。

ただ、この病の必然として腹水が徐々にたまり始め、いまではお腹がかなりパンパンに。

IMG_0748.jpgIMG_0889.jpg左:2012年4月 右:2012年9月

かかりつけの獣医師によると、最近では腹水は抜かない方向らしく、だいぶ大きくなってきましたが、抜いてもらえる気配はありません。抜いてもすぐにたまるし、痛みがあるので2回目以降は犬が嫌がるし、また大切なタンパク質なども一緒に抜いてしまうため、かえって悪影響があるのだとか。
また、ラッキーちゃんの現在のお腹の膨らみ具合は「まだまだ」だそうで、倍以上に膨らむ犬もいるらしい。
まあ、腹水が肺を圧迫し、呼吸困難になったりした場合はこの限りではないようですが、いまのところ、咳き込む回数もそれほど多くないし、様子見です。

ところが、ここ数日で急激に秋が深まって冷え込んだせいか、はたまたさすがに心臓が疲れてきたのか、先日10月11日の午前2時半ごろ、突然甲高い絶叫が!。
ガバっと飛び起きで駆け寄ると、手足は痙攣してばたつかせているものの、意識は失わず、失禁もなし。5分程で収まりました。その後きょうまでは、幸い発作は起こしていません。

夏は1回以上散歩に出たがらなかったのに(まあ、異常に暑かったですし^^;)、秋になってからは朝晩2回は外に出たがるし、食欲は旺盛なので、「まだまだイケる!」と思っていた矢先なのですが・・・うーーむ。

それでも、今でも結構"はら天"で寝ているし(この病状の犬にしては稀有なことらしい)、獣医師に「悪化してるんでしょうか?」と聞いたら、「悪化してるというより、まあこんなもんでしょう。とりあえずお正月を目指しましょう」と言われたし、いましばらく、その日その日を大事に、ゆったりと参るとしましょうか。

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ところで、私の周囲では、この1年で大幅に犬の世代交代が進みました。
新顔のまだ1歳に満たない子犬が一挙に3匹増え、ご近所12軒のうち、犬がいたのはうち1軒だけだったのに、あれよあれよという間に4軒に!
一方で、ラッキーちゃんの散歩で馴染みの犬たちは、それぞれの老後を迎えています。

いつもラッキーちゃんを追ってきた放し飼いのハッピーちゃん(シーズー系雑種:14歳)は、この夏、突然姿を消しました。家族の必死の捜索にもかかわらず、いまだ何も見つかっていません。この辺では、年老いた犬が自ら死に場所を求めて姿を消すことが時々ありますが、彼女もまたそのうちの一匹なのでしょうか。同居していた息子のセールには、何か言い残して出ていったのかなあ。

ラッキーちゃんの天敵のポッキー(柴犬系雑種:15歳)は、寝たきりになりました。柴系といってもかなりの大型犬で、半年ほど前から足腰がだいぶ衰えてきて、薬を飲んではいたものの、秋になってとうとう立つことがまったくできなくなりました。現在は、飼い主の老夫婦が、大きな台車に犬を寝かせた状態で、これまで通りの散歩コースを歩いていらっしゃいます。寝たきりになっても、犬は決して家では用を足さないそうで、台車におしっこシートを敷き詰めて散歩にでると、外で、いつもの所定の場所で、寝たままシート上に用を足すそうです。ただ、やはり体が痛いのか、年齢のせいで感覚が狂うのか、散歩に出せと吠える時間が、時には真夜中の1時だったりする日もあるそうです^^;。 そして、飼い主さんはその時間からでも、ちゃんと台車で散歩に連れ出すんだそうです。「だって、家族だから」と。

この辺りでは唯一のシーズー仲間のみゅうちゃん(16歳)は、全盲に。もう、外に散歩には出てきません。でも、相変わらず食欲はあって、家の敷地内で散歩&日光浴をしているそうです。彼女はかなり太めのぽっちゃり犬だったのですが、今ではさすがに小さくなって文字通りシワシワに(一旦太ってパンパンに広がった皮膚が、いまはたるんでしわしわなんですよ、なんと手足まで)。とにかく食べるのが大好きなせいか、内蔵は丈夫で、これまで目立った病気はしたことがないそうです。うーん、羨ましい。

シェルティのあいちゃん(12歳)は、手足が腫れて痛む病気が治らないまま、立てなくなってしまいました。それでも何とかして立とうともがいて顔を床に擦り付けるので、毎日顔が血だらけに。そして、毎晩ずっとつらそうになき続けるので、飼い主さんと獣医師さんが相談の上、あいちゃんのQuality of Lifeと、飼い主さんの肉体的・精神的疲労を考え、安楽死を選択されました。


思えば、20年位前までの田舎の犬の寿命は7-8年というところでした。多くは外飼いだったし、獣医に連れていくこともほとんどなかったので、原因がわからないまま病死が多かったように思います(フィラリアが多かったのかな)。
そう思うと時代は変わりました。いまじゃ病名もわかるし薬もあるし、場合によっては手術もできる。病気に応じた療養食もあるし、おやつも豊富。美容院まである。しかも、人より高い!(笑)
ラッキーちゃんのように、いくらお世話を焼かれても平気のわんこには(苦笑)、居心地がよすぎて去りがたいのかも。

というわけで、2013年の正月めざして、のんびり行きましょう!


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